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一般財団法人 腸内フローラ移植臨床研究会

移植体験インタビュー「自分は完治すると信じていた」【潰瘍性大腸炎30歳男性】

mrnnさんは、ご自身が潰瘍性大腸炎を患ってから、抗生物質のリスクや食事のこと、腸内細菌のことを随分と勉強され、腸内フローラ移植を受ける決断をされました。
ご自身の努力と移植が功を奏し、主治医の診断、他院での内視鏡による検査で医師から寛解の判断をいただくことができたそうです。

今回、ご本人のご協力によりインタビューが実現しました。シンバイオシス研究所のちひろ(山本千尋)がインタビュアーとなり、お話を伺うことができました。

【プロフィール】
30歳 男性
ニックネーム:mrnn
疾患名:潰瘍性大腸炎
移植回数:9回
移植担当主治医:医療法人ふたまた会ナチュラルアートクリニック
ナチュラルアートクリニックの記事一覧はこちら
移植後の診断:寛解(移植主治医診断と他院での内視鏡検査による)

ちひろ

今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます。

こちらこそ、ありがとうございます。

●ちひろ:今日は、過去のお話やご病気のことなど、腸内フローラ移植のことに限らずお話をお聞かせいただければと思います。

潰瘍性大腸炎の診断、その後の体調や生活

●ちひろでは早速、mrnnさんが潰瘍性大腸炎と診断されるまでに感じておられたご症状やそのときの生活のことを教えていただけますか?

○mrnnさん:潰瘍性大腸炎と診断されたのは、22歳の大学4年の時でした。
大学は音大に行っていて、声楽をしていました。周りとのレベルの違いに焦って練習して、風邪をひいて抗生物質をよく飲んでいました。
太った方が歌にいいと周りの人や声楽の先生に言われたりして、太るためにラーメン、チョコレート、コーラなどを暴飲暴食していました。
声はどんどん出なくなり体も痩せていき、体調の悪さは感じていたのですが、先生や周りの人に相談しても練習不足、努力が足りないと言われ、誰にも相談できず独りで悩んでいました。
大学3年生の時に血便が出たのですが、病院では何も異常が見つからず親からも不信感をもたれていました。
小さい頃からお前は痛がりでおおげさだと言われていて、体の不調をあまり周囲に言わなくなっていきました。
血便は一回だけでその後は普通の便が出ていたので、自分もその事を忘れて生活を改めることもなく暮らしていました。
なんとか大学院に合格したのですが、その後に下痢がひどくなり、一日に何度もトイレに行くようになり、いつの間にか血便が出ていることに気づきました。

●ちひろ:ご自身はつらい症状があるのに、病院では異常が見つからない状態というのは、きっとつらいでしょうね。努力家で周りの人への気遣いを無意識にしてしまうmrnnさんは特に、自分で自分をどんどん追い込んでしまったのかもしれませんね。
病院で潰瘍性大腸炎の診断名がつくまでどのような経緯がありましたか?

○mrnnさん:血便はずっと続き、夏休みに入る頃に病院に行って、内視鏡検査をして、そこでやっと潰瘍性大腸炎とわかりました。
医師からは長い付き合いになる病気ですと言われ、普通に生活をしても大丈夫と言われました。
一見して健康そうに見えるためか、親からもいつまでも悩むな休むなと言われたこともあり、夏休みが終わると学校生活に戻りました。
薬を使って寛解と再燃を繰り返して大学院を卒業しました。
それからはオペラの研修所に入ったり、舞台の仕事、聖歌隊のバイトをしたりして親の援助を受けながら歌の生活をしていましたが、27歳の時に付き合っていた彼女からアスペルガーなんじゃない? と言われ、そこから自分はアスペルガーなのかとずっと悩み鬱のようになり家から出られなくなって、全てから逃げ出してしまいました。

一番つらかったのは、親に申し訳なかったことだと思います。年々どんどん歌えなくなる僕を見て、親は失望したと思います。
でも卒業してから、自分で先生を探して、やっと人生の師と呼べる人に出会えたのは幸運でした。それから声はどんどん良くなって今は親から良い声になったと言われて、嬉しかったです。この潰瘍性大腸炎で辛いこともありましたが、自分の人生の財産になっていると思います。

●ちひろ:それは本当につらい経験をされましたね。
症状が出始める前後、ご自身で精神面の過度なストレスや肉体的な疲労感、つまり病気の前兆のようなものは感じておられましたか?

○mrnnさん:人生のいろんな場面で、生きづらさを感じることはありました。
病気になったのは身から出た錆というか、この社会のシステム的にしょうがなかったのかなと今は思います。
大学から歌の道に進んでわかったことのひとつに、自分は人前で歌うのが好きじゃなかったということがあります。僕は小さい頃から美しいものを眺めているのが好きで、自分はその美しいものが平和的に存在しているのをただ眺める傍観者であれれば幸せでした。
歌に関しても、自己満足できればそれで良かったんですが、音大では歌や発声の技術を磨くというよりは人脈づくりが最重視されたり、教え方がどこまでも体育系だったりで、ひとりひとりの状態や個性を伸ばす教育はしてくれませんでした。

他人と同じような生活をしているだけなのに、どうして自分だけがこんな症状に見舞われるのか理解できず、自分を否定し続けることしかできませんでした。
それを補うように徹夜で練習したり、舞台の合間にトイレにこもって、また歌って、その後飲み会に行って。今思うと、自分の体の声を無視して頑張りすぎていたんですね。

ただ美しいものを眺めているだけでいい、自分は肉体を持たない魂だけの存在でいい、そんなふうに思っていたのに、痛みで現実に引き戻されるんです。
食べるものが少しでも合わないと、途端に激しい痛みが襲ってきて、トイレにこもるしかない。現実の自分はなんてみじめなんだと悲しくなりました。

●ちひろ:想像するだけでも胸が苦しくなります。今こうして笑顔でお話されているのが嘘みたいです。mrnnさんの不調や病気の発覚で、周りの方の目は変わりましたか?
いい意味でも悪い意味でも。

○mrnnさん:それが、潰瘍性大腸炎って外から炎症の状態がわかるわけじゃないから、同情や配慮はほとんどなかったんです。
僕の習っていた先生は、僕が潰瘍性大腸炎であることをずっと忘れていましたからね(笑)
他の人たちは自分が痛みを経験しているわけではないから、理解できないんだと思います。
だから僕も、つらいときでも言い出しにくかったですね。「大げさだ」って言われそうで。
みんなと同じことが当たり前にできない体の状態なのに、そう振る舞わくてはいけないのがつらかったです。

それでだんだん家に引きこもるようになって、何も前向きに考えられず、まさに鬱状態でした。
治らないと言われている潰瘍性大腸炎で、アスペルガーかもしれなくて、そのうえ鬱だなんて救いようがないですよね。希望を持つのは難しかったです。

それでも自分は完治すると信じていた

●ちひろ:そんな状態から、今私とこうしてお話させてもらえるまでは、きっと長い道のりがあったんだと思います。なにかきっかけのようなものはあったんでしょうか?

○mrnnさん:引きこもって鬱みたいな状態だったんですけど、なぜか自分は完治するとどこかで信じ切っていたんです。
だから、特にきっかけというほどでもなく、潰瘍性大腸炎と向き合おうと思ったタイミングがありました。時間が気持ちの整理をつけてくれた面もあるかもしれません。
この過程では、自分の「生きたい」と願う力に自分自身で驚くことになりました。

まず、同じ病気の人のブログを読んだり、食べ物で炎症を起こすという現象について徹底的に調べました。
そして仕入れた知識を実行に移しました。つまり、自分の体で何度も実験したんです。
断食、食物繊維の摂取、マクロビ、糖質制限、分子栄養学、時間栄養学、マインドフルネスなど、健康に良いと言われていることを片っ端から試していきました。

食べ物に関しては、含まれるもののうちどれが症状を悪化させるのかを特定するのが大変でした。
乳化剤、酸化した植物油脂、その他にもカタカナの正体不明の物質など、原因らしきものがセットで入っている食品が多すぎることを知ったのもこの時期でした。
そこで断食をしながら、素材としての食べ物を少しずつ取り入れていき、自分の症状を悪化させるものとそうでないものを振り分けていきました。
家族と同じものを食べていると調子を崩すので、自分で自分の食べるものを調理するようになりました。
すると、症状が軽減するんです。
僕の症状は、口から食べたものに大きく左右されるんだなということを知りました。
そして、世の中で言われている健康法は案外無責任なものなんだなということ、それが当てはまらない人もいるということをもっと広く知らせる必要があると思いました。

正直言って、精神的にも肉体的にも極限状態にある中で、ここまでできる人は少ないのではないかと思います。それでもここまでできたのは、僕自身が「この病気は治る」と信じ切っていたからだと思います。
他力本願をやめたのも大きかったです。お医者さんは、良きメンターではあってほしいですが、治してくれる人ではないんです。
けれど、僕の試したどの方法も、効果は一時的でしかありませんでした。
断食は、炎症を抑えるためとか、症状の悪化する食べ物をあぶり出すためとか、そういった目的には有効でしたが、ふらつきなどの不調が出ました。
そのほかの方法も、根治には程遠い結果でした。
もう元には戻らないんじゃないか。そんなふうに感じるようになりました。
健康という状態は、こんなふうにいちいち自分の口にするものに神経を張り巡らさなくてはいけない状態ではないはずですから。

●ちひろ:不調を意識しないのは健康な印、ということですかね。うちの研究所の職員もよく言っています。健康はわざわざ意識するものではないと。
腸内細菌の存在を知ったのも、そんなリサーチ活動の中でですか?

○mrnnさん:そうです。潰瘍性大腸炎に関する論文を読む中で、この病気は腸内細菌の乱れが原因のひとつであると考えられていることを知りました。
腸内細菌について詳しく調べていくと、抗生物質の多用で腸内細菌のバランスが崩れてしまうと知り、納得がいきました。
自分の母は妊娠前から抗生物質をよく飲んでいましたし、僕自身も小さい頃から体が弱く、風邪や下痢を繰り返していました。抗生物質は細菌を抑えるための薬で、ウイルス性の風邪の症状を抑えるために飲んでも意味がないなんて知りませんでした。抗生物質のリスクについても、医師が伝えてくれることはありませんでした。きっと知らなかったのかもしれないです。
同時に、腸内細菌は不可逆的なのではないかと思うようになりました。
乳化剤・界面活性剤によるリーキーガット、抗生物質による腸内細菌のバランスの変化は、もう元には戻らないのかもしれない、これまで何億年もかけて受け継がれてきた腸内細菌が受け継がれなくなってしまうかもしれない、個人でどうにかできる問題ではないと、そう思うようになりました。
そう実感すると、今までの自分の人生の生きづらさの理由が少しわかった気がしました。

●ちひろ:たしかに、一般的な見解では、幼少期に培われた腸内細菌の状態を大きく変えることは難しいとされていますね。それで、腸内フローラ移植(便移植、FMT)という方法を見つけられたのですね。

○mrnnさん:同じ病気の人のブログで、腸内フローラ移植の存在を知りました。
それから腸内フローラ移植についていろいろと調べる日々が始まり、そんなときに車の事故に巻き込まれたんです。自分は大した怪我ではなかったんですが、母が怪我をして。
日本の医療システムの素晴らしさを肌で実感しました。
すぐに救急車が来てくれて、病院で治療をしてくれるという安心感、ありがたみを感じました。抗生物質の使用も、こういうときには大切なのだと改めて思いました。
抗生物質を頭から否定するのではなく、必要な場面でだけ大切に使うという考え方が大事なのだとわかり、人生観が変わった出来事でした。
自分も移植を受けたいという気持ちが芽生えたのも同じ時期です。効くか効かないか自分で試してみないとわからないと思ったし、僕の腸内細菌たちを正しい状態に戻してくれるかもしれないと希望を持ちました。

日本で受けられるところはまだ少ないですが、潰瘍性大腸炎の治験という形で参加者を募集している大学病院もあります。
ある大学病院の治験に参加することも考えたんですが、移植の前に抗生物質を使わないといけないことのリスクが気になってやめました。今の自分の腸にも腸内細菌はいるのに、それをわざわざ殺すのは、今までの医療と同じ考え方に基づいている気がして。

それで続けて調べていたら、Twitterでたまたまシンバイオシス研究所のことを知ったんです。内視鏡や抗生物質を使わないことや、移植の方法にもこだわりを持っておられたので、ここにしようと思いました。

●ちひろ:今、腸内フローラ移植に関しては様々なプロトコルが試みられていますよね。内視鏡や抗生物質など、患者さんの負担が大きい方法が標準法になることを私たちは恐れています。
治験ではなく民間の研究会による移植であることや、そのほかに移植をためらうような理由はありませんでしたか?

○mrnnさん:やっぱり費用ですかね。ここがもっと気軽に受けられる値段になれば、腸内フローラ移植臨床研究会で受ける患者さんはぐんと増えると思います。
技術面や安全面に関しては情報公開がされていたし、自分の勉強した知識と照らし合わせても不安はなかったです。むしろ、シンバイオシス研究所のブログで書いてあることに納得することも多くて。
ありがたいことに僕は、費用面において、腸内フローラ移植を受けられる環境にありました。
逆に、お金さえ払えば自分もこれが受けられるんだ、というふうに僕は考えました。
日本国内で腸内フローラ移植が受けられるのは、ひとえに40年近く微生物研究を続け、周りの批判も浴びながら自分なりの腸内フローラ移植を確立してくださった清水さん(シンバイオシス研究所、上席研究員)のおかげです。ドナーの皆さんにも感謝しています。
本当にありがとうございます。

●ちひろ:費用、下げたいです。菌液の精度アップももちろんですが、コストダウンも頑張っていきます。約束します。国からの補助金を受けられる方向に活動するか、規模の経済を生むために普及活動に力を入れるか、いずれにしても「高いとは言えないお給料で大義のために働いてくれる優秀な人」が必要なんで難しいんですよね。
非営利団体やソーシャルビジネスの宿命でしょうか。

移植を実際に受けてみて

●ちひろ:mrnnさんは、6回コースに加えて追加移植を3回、合計で9回の移植を受けていただきました。移植をしてどのような体感があったのか、お聞かせいただけますか?
移植を検討されている方が一番知りたいところだと思います。

○mrnnさん:1回目に受けた時は、全身の細胞が入れ替わる感じがしました。めちゃくちゃ効いているな! と確かな実感がありましたね。菌液の見た目はすごく薄いんですが、僕の中に住んでいる腸内細菌とは全然違う顔ぶれが一気に入ってきたからですかね、すごくいい体感がありました。
細いカテーテルでおしりから菌液を入れるんですが、拍子抜けするくらい処置は簡単でした。内視鏡はすごく痛かったので、これはありがたかったです。

これから少しずつ菌液の濃度を上げていって、免疫が強く反応しすぎないように慣らせていくと説明を受けました。体が暖かくなって、お腹も楽になり、精神的にもふっと楽になった感じがありました。

2回、3回、4回と続けていく中で、1回目ほどの劇的な感じはないけれど、肉体的にも精神的にも楽になっていく感じがありました。すごく久しぶりにバナナ状のきれいな便が出ました。
便秘や軟便もありましたが、便の状態が崩れるのも、健康な人が便秘や下痢になるような感じと言ったらいいんでしょうか、不快な感じはさほどありませんでした。
菌液を入れると、動いていなかった内臓が動き出していると先生に言ってもらえて嬉しかったです。
他にも、髪質や肌の調子が良くなり、ニキビや鼻の赤みが減りました。体温も上がっていました。
このまま腸の炎症が治まってくれたらいいな、と思いました。
4回目のあとは久しぶりに8時間くらいぐっすり眠れて、イライラ感が消え、メンタルが落ち着いてきた感じがありました。
渋り腹や腹痛、肛門から炎症があふれる感じも減ってきていました。
このあたりになると「効いている」いう感じよりも、心地よい安心感のようなものを感じました。

ですが、5回目と6回目に引き戻しのような現象がありました。人間の体にはホメオスタシス(恒常性)という、今の状態に留まろうとする本能の働きがありますが、それかもしれないです。
実は、4回目までですでにいい状態だったので、これ以上バランスを変えることにちょっと抵抗を覚えていたんです。
案の定、5回目を入れるときに少し嫌な感じがあり、6回目になる頃には便の状態が元に戻りつつあるような感じがしました。
これは精神的にへこみましたね。
「やっぱり戻らないのか」と思いそうになりましたし、一喜一憂することにちょっと疲れてもいました。

でも腸内フローラ移植の可能性を信じていたこともあり、追加で3回の移植をすることに決めました。
7回目の移植は、体感的によかったです。6回目の移植のあとも泥状便が続いていたんですが、だんだん固形になりそうな便だったのと、メンタルが明るくなるのは実感していました。
食事もおそるおそる摂っていましたが、徐々に白米を7分づきにしたり、キヌアやオートミールを足したりして、食物繊維の量を増やしてみました。

8回目、9回目も体感は良く、便の状態は行きつ戻りつですが、体調は悪くなかったです。
そして9回目の移植からしばらく経って、便の状態は安定しつつあります。
先日、他院で内視鏡検査をしたところ、寛解でいいんじゃないかと言ってもらえました!

●ちひろ:それはうれしすぎる! ご自身の努力の成果ですね。ここまでよく信じてくださいました。これからも長い目で見ていきましょうね。

○mrnnさん:はい。それと、今後もメンテナンスのような意味合いで、追加移植をしていきたいなと思っているんです。2週間、1ヶ月とだんだんと間隔を空けてでも続けていくことで、僕の腸内細菌が新しい腸内細菌と仲良くなって、僕の体もそれに馴染んでくれるのかなって。
今はまだ正直、薬をやめるのが怖いんです。もっといろんなものを食べられるようになりたいし、人間だから調子を崩すことはあったとしても、ちゃんと戻れる体になりたい。
普通の定義は難しいですが、一般の人と同じ健康状態になりたい気持ちが強いです。
腸内細菌は、僕が学び試してきた様々な西洋医学、東洋医学を統合してくれるような存在です。今の医学では説明のつかないことを、説明してくれる。個人差はあれど、ポテンシャルを感じるんです。
移植を受けて前向きな精神状態になれたことで、こんなふうに考えられるようになったのかもしれません。

●ちひろ:メンテナンスとしての移植というのは、いい考え方ですね。医療の常識からすると「いかに患者さんを卒業させられるか」をゴールとする場合が多いですが、健康というのは一生維持していくもので、運動や食事、睡眠をずっと大切にするように、腸内環境も大切にしていきたいものです。現代の生活だからいつも完璧にはいかないけれど、そんなときのメンテナンスですね。

病気を経験した自分だからできること

●ちひろ:苦痛を伴う病気にはそもそもならないほうがいいに決まっていますが、今振り返ってみて、病気を体験することで得られたもの、気づいたことはありますか?

○mrnnさん:僕が魂だけの存在でいいと思っていたこと、それを潰瘍性大腸炎の痛みのせいで嫌でも現実の肉体に目を向けないといけなくなったということはお話しました。
でも、そのおかげで初めて「自分」というものを省みる、省みざるをえない状況になりました。痛みや苦しみがあったからこそ、自分と正面から向き合えた。
皮肉なようですが、病気になったから生きる実感が湧いたのかもしれないです。
痛みや苦しみに耐えて生きてくれた自分の頑張りを、他人になんと言われようと自分だけは自分をほめてあげようと思えました。
自分の体には知らない間に支えてくれていた腸内細菌がいてくれたんだということに気づけたのも大きいです。脳も大事ですが、この思考だけで生きているという考えは、大きな傲慢でした(笑)
痛みがないと幸せに気づけなかった。昔の自分によく頑張ったと伝えたいです。

●ちひろ:本当によくぞここまでなんとか生きてくださいました。これからの人生、きっとハッピーなことばかり起こりますよ。今後、なにか取り組んでみたいことなどはありますか?

○mrnnさん:潰瘍性大腸炎になったことで、諦めたことがたくさんあります。失ってしまった人間関係もあります。
そんなまっさらな状態だからこそ、できることを探していきたいなと思っています。
僕は今腸内フローラ移植の可能性を肌で強烈に感じている一人ですので、できれば自分の知識や経験を発信していきたいなと思っています。
ネットで検索して出てくる健康情報は、玉石混交です。それに、万人に当てはまるわけでもない。
だからこそ今まで自分が調べたことを発信し、僕が試したことも伝えていきたい。

世代間での腸内細菌のリレーは、今危機に瀕しています。炎症に関わるあらゆる病気は、腸内細菌が関わっている可能性が大きいです。
もし今自分が健康だとしても、自分たちの日々の営みは腸内細菌を軽んじ、遠ざける行為かもしれない。そうであれば、自分の子どもたちやその子孫を不幸にしてしまうんです。
当たり前の健康が当たり前でなくなってしまう人が、どんどん増えてしまう。

今苦しんでいる人に対しては、僕のできることであればなんでもやって、役に立ちたいです。
そしてできれば多くの人が、僕の感じたような痛みや苦しみを感じずに済むよう、できることをやっていきたいんです。
腸内フローラは、お母さんのお腹の中にいる時や産まれる瞬間、その後一年くらいである程度決まってしまいます。だから、赤ちゃんや子どもを優先して、手遅れにならないうちに必要のある子は腸内フローラ移植をする社会になればいいなと思います。

これは自分にたとえ移植が効かなかったとしても、広めたいと思っていたことです。腸内フローラ移植臨床研究会・シンバイオシス研究所では臨床例の論文がまだ出ていませんが、他の一般的な便移植の方法であっても、潰瘍性大腸炎の寛解率は2割か3割あるんです。
治療法のない難病指定を受けていて、今の標準療法も似たような寛解率です。なぜ腸内フローラ移植だけ認められないのか、かえっておかしいなと思うくらいです。

●ちひろ:ご自身の体験をもとに、今まさにご病気で苦しんでおられ、長く暗いトンネルにいるような気持ちになっている患者さんや、そのご家族に向けてなにかメッセージをいただけますか?

○mrnnさん:今、症状に苦しんでいる人には、どんな言葉も届かないかもしれません。
この痛みを今すぐ、どうにかしてくれと、日々病と闘っているあなたは、もう十分過ぎるほど、がんばっています。
周りで支えてくれているご家族の方も、日々気を揉んでいることと思います。
今、病を治そうと、日々研究をしている人達がいます。
今は原因不明でも、必ず原因があります。
幸いにも、腸内細菌を通して、様々な病の原因が繋がり、治る可能性がある時代になってきました。
どうか、あきらめずに、一緒に生きてください。

ちひろ

ありがとうございます。まだまだご自身で100点の出せる健康状態ではないかもしれませんが、mrnnさんならきっと誰よりも健やかで、幸せな人生を歩んでいかれるという確信に似た光を感じる時間でした。ありがとうございました。